でっけー地震に翻弄された数日間のお話。①
ご存知の方はご存知。
6/18 7:58
高槻の自宅で爆睡している所、震度6弱の地震に見舞われました。
誇張表現でもなんでもなく、電車の揺れを100倍ぐらいにした感じで、マジで死ぬかと思った。
その日は休みでしたがそこから数日間どえらい忙しかったので、備忘録をつけましょう。
8:15ごろ
余震がおさまってきたので、電気が開通しているのを確認してテレビをつけました。
ここではじめて高槻が震源だという事が判明。マジか…って感想しか出てこなかったのを覚えています。
嫁さんが職場の方に画像送ったら「ド派手な夫婦喧嘩?」みたいな反応されてたのは笑った。
あながち間違ってない可能性もあり。(実際前日めっちゃ喧嘩して夜中遊びに行くのやめて地震にあった)
自宅の破損物確認。瓶類は落ちたものの無傷、中華用の回転皿のうちの一枚とワイングラスが破損。
玄関、リビング、寝室の棚、自宅ほぼ全域で落下物あり。
9:00ごろ
職場関係者、自身と嫁の親、祖母、弟の無事を電話で確認。
祖母が住む実家も高槻だったのですが、やはり落下物多数との事で、父親から救援に向かうよう要請あり。
ガス、水道が死んでいることに気づき、ちょっと焦る。
12:00ごろ
余震が少し収まったものの、まだ15〜30分おきに小刻みな有感地震あり。
少し落ち着いたので、周りの確認がてら嫁さんと食料補給にイオンまで歩くと、道中わかっただけでも
「電車がストップしているため歩く人たち」
「電車が使えないので車使う人」
「大量の緊急車両」
「イオンに入るための道路に並んだ渋滞列」
地獄絵図でした。
水、パンは既に売り切れており、
イオンもこの有様。こんな中にもかかわらず本当にありがとうございます。
水はとうに売り切れており、アクエリアス、お茶、ポテチ(腹膨れるのと塩分の塊だから)を購入。
水分系統はほぼなくなっていました。気持ちはわかるがケース買いは勘弁してくれ…。
お腹は空いていたものの、食べるところもなく困り果てていたら、営業停止一歩手前のかつやさんを発見。滑り込みでカツカレー。
15:00ごろ
実家に救援。道中も塀が崩れかけていたり、実際にその風景を見て「あぁ、被災地になったんだなぁ…」と実感。
よくよく考えてみればニュースで見る映像も知った場所ばかりで、これは大変な事になりましたなぁと。
実家はテレビが故障していたので復旧させ、落ちてきていたものの高い場所にあったものを安全に気をつけつつ再度しまう。
20:00ごろ
なんだかんだしてたら20時ごろになり、よくよく考えたら「ガス使えないから風呂に入れない」という初歩的な事に気がつく。
ヤベエ。明日仕事だ。
晩飯どうしよっかねーなんて言いながら嫁さんと外走ってたら、これも奇跡的にビッグボーイが生きてたので入店。お前…生きてたのか…。
ガスはプロパンか…??
たらふく水飲んで飯食って、向こう数日メシいらねえよぐらいの気持ちで帰りました。
ホンマに助かった。ありがとうございます。
この後家に帰り着くわけですが、余震があまりに多すぎて眠れないまま次の日に続く。
30分おきに揺れる。寝付いたと思ったら揺れる。
18日、当日はこんな感じでした。
なんでこんな時に仕事あるんだと、ちょっとだけ怒りゲージ溜まってました。そんな感じ。